Saturday, January 26, 2013

東日本大震災から2年が過ぎようとしているのに復興がいっこうに進まない理由

『生活の党』が25日に都内で党大会を開き、新代表に小沢一郎氏をを選出したのは、喜ばしいことだ。これで次期参院選は、躊躇することなく『生活の党』を応援できると思う。

【2013年1月25日・生活の党本部】小沢一郎代表 代表就任あいさつ


生活の党 参議院議員森ゆうこ』氏のブログより

小沢氏の地元の岩手県は、東日本大震災の被害が最も大きかったとされる陸前高田市の戸羽太(とばふとし)市長が、日本外国特派員協会で1月24日に講演し、東日本大震災から2年が過ぎようとしているのに、復興が全く進んでいないことを訴え、その原因として縦割り組織の弊害などを指摘した。



日本外国特派員協会の講演では、通訳を介しているので、通常の倍の長さになってしまう。特にこの高松珠子氏の通訳は、超高速スピードで訳しているが、一語一句まで逃すことなく、外国人記者にわかりやすく説明しながら訳してくださるので、どうしても、通訳の部分が長くなってしまう。私のように、通訳に興味のある人だったら、この天才的な通訳を聞いているのは楽しいが、そうでないとかなり退屈なので、文字起こしを探してみたら、『誠』の「復興という状況にはまだない」――陸前高田市長が語る被災地の現状 (1~4)と言う記事に、戸羽市長の講演が文字起こしされていたのでここに紹介したい。



通常のルールを変えられないでいる

戸羽 岩手県の中では陸前高田市が一番大きな被害を受けており、たくさんの犠牲者が出て、今なお、たくさんの方々が行方不明という状況にあります。現在でも200人以上の方が行方不明で、昨年1年間、警察や海上保安庁の方々に捜索をしていただきましたが、発見された行方不明者はたったの1人で、大変危惧しているところです。
ah_toba2.jpg岩手県南部の沿海部にある陸前高田市(出典:Google マップ)
この間、私は政府に対してさまざまな問題を指摘してきましたし、ある海外のメディアからは“トラブルメーカー”という書かれ方もされました。ただ、私は「復興を進めていくためには何が問題なのか」ということを相手が首相であろうが、しっかり言っていくことが必要なんだろうと思って活動してきました。
私は2011年3月11日に被災する直前の2月6日の選挙で市長にさせていただいて、2月13日からが任期という中で、こういった被災を受けました。私は生まれて初めて、その時に絶望というものを感じました。
津波があった時は市役所庁舎の中に逃げたのですが、その日は市役所に閉じ込められてしまいました。次の日の朝、山の方に登っていったのですが、妻の行方が分からなくなってしまい、捜しに行くことができない自分というのがいました。私は市長ですから当然仕事をしないといけないわけですが、一方で自分が人間として、あるいは夫として、本当に情けない、申しわけない、そういう気持ちでこの間も仕事をしてきています。
ay_rt05.jpgay_rt06.jpg陸前高田市の旧市庁舎。海から約1.5キロのところにある(2012年11月、撮影:吉岡綾乃)

ay_rt07.jpg旧市庁舎の斜め向かいにある市民会館。今年度中の解体が決まっている。旧市庁舎と市民会館、2つの施設で112人が亡くなった(2012年11月、撮影:吉岡綾乃)
被災した時、絶望の中でいろんなことを考えました。でも、時間が経てば、1年経てば、2年経てば必ず良い状況にあるだろう。そういうことも思いながら仕事をしてきたのですが、2年が経とうとしている現在、正直申し上げて復興というような状況にはまだありません。
2年という長い月日があったにも関わらず、現状はがれきの山が残り、津波の被害を受けた公共施設が残り、まだまだ復興という状況にありません。このことについて、私だけではなく多くの被災者は大変将来に対する希望が見えていないのではないかと思っています。
なぜ復興が進まないのか。当然、いくつかの理由があるわけですが、一番の原因はやはり国の考え方だと私は思っています。
政治家の方々には「1000年に1回」「未曽有の大震災」「被災者に寄り添うんだ」と言葉では言っていただいています。しかし、現実にはなかなかそうはいきません。例えば被災した時、陸前高田市にスーパーもお店も1つもなくなってしまって、水1本買うところがない。もちろん食料などない。そういった時にスーパーを建てようとしても、「そこは農地だからスーパーなんて建ててはいけません」となるのが日本の現実だと私は思っています。
みなさんご存じの通り、日本は縦割り社会と言われていて、特に国のシステムが縦割りになっているわけです。当時、ガソリンがなくて、大変苦慮しました。なぜガソリンがないと苦慮するか。私たちのところでは毎日毎日たくさんの遺体が発見されます。そして、その遺体をそれぞれ小学校や中学校の体育館に収容していただくのですが、家族を探しておられる方々がガソリンがないために、遺体を探しに行くこともできなかったんですね。そういうことで、大変苦慮しました。
残念なことに陸前高田市はガソリンスタンドが全部被災していて、貯蔵タンクがなかったので、いつまでたってもガソリンが来ませんでした。その時、当時の副大臣をされていたある政治家がいらっしゃって、その場で経済産業省に電話していただいて、ドラム缶でガソリンを運んでいただくことになりました。そして、どうやって給油しようかという話になった時、大変危険な作業なので、自衛隊の方々にお願いすることになりました。しかし、いよいよ明日ガソリンが来るという日になった時、経済産業省から「これは経済産業省が出すガソリンなので、自衛隊の方々に給油はさせないでください」という電話が来ました。
それくらいの縦割りというものが現実にあるということを、私は初めて知ったわけです。そういったひとつひとつのよく分からないルールが、現実に我々の復興を遅らせているのだと思っています。どんな緊急時になっても通常のルールが生きていて、緊急だという意識を国に全然持っていただけない。これが一番大きな理由だと思います。
例えば山の木を切って、あるいは山を崩して平らな地面を作って、そこに家を建てることをこれからやります。しかし、その手続きはすごく時間がかかります。私たちがその計画を市民のみなさんに発表したのが2011年8月、実際に工事が始まったのは2012年11月です。私たちにとっての1日と、国会議員のみなさまにとっての1日は同じ1日かもしれませんが、私たちにとっての1日は全然意味が違います。そういうことを国の人に分かっていただかなければ、復興は進まないだろうと思っています。
先ほど申し上げた通り、陸前高田市は現状、まだまだ復興状況ではありません。まだ、がれきの山がいっぱいあったりするわけです。みなさんご存じの通り、今回津波の被害を受けたところは、本当に田舎の町です。人口が少ない、経済的な基盤が弱い、財政的な基盤が弱い、高齢化率が高い、そういうところがやられてしまいました。2年経って、今なお被災地は被災地の状況のままです。
ay_rt02.jpg国道45号線沿いにある「道の駅高田松原」。高田松原は海に面し、白砂青松の浜は日本百景にも数えられたという。大震災で被災し、現在は休館を余儀なくされている(2012年11月、撮影:吉岡綾乃)
でも、東京や大阪で同じことが起こったら絶対にそんなことはない、もっと早く進んでいるはずだと私は思います。そこがやっぱり田舎に住む我々からすると、非常に悔しい思いをしているわけです。


(中略)

――陸前高田市民の中に、アルコール依存症や自殺、バイオレンスの兆候は出ている人はいますか。
戸羽 私たちの地域で無くはありませんが、基本的にそんなに大きな問題になることはないと思っています。ただ、先ほどから言っているように、たくさんの方が家族をなくしています。中でも高齢者、例えば80歳のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいて、おばあちゃんだけが亡くなって、家も無くなってしまった人々というのは、まさに絶望です。「明日どうしよう」なんてことは、なかなか考えづらいわけです。ですから、うつ状態になっている方は非常に多いと思います。
市役所の職員でもそうです。メンタルチェックをすると、かなりの人たちが引っかかります。その中に希死アラームという欄があって、希死というのは自殺願望があるという意味ですが、そういう方々がかなりいます。
そして、私が一番心配をしているのは子どもたちです。陸前高田市内で、一度に両親を亡くして孤児になってしまった子どもたちは小中学生だけで30人ほど、高校生を入れると40人以上います。私の子どももそうですが、片親を亡くした子どもたちは150人ほどいます。
今は明るくしていても、やはりいろんなトラウマを持っていたり、将来、そういう何かが出てきてしまうのではないかと非常に心配しています。経済的な問題としても、そういう子どもたちが東日本大震災で被害を受けたことによって、夢をあきらめないといけないとか、進路を変えないといけないとか、できるだけそういうことがないように我々としても努力していかないといけないと思います。
――漁業の復興については、どのような状況ですか。
戸羽 私たちの地域の漁業は魚を獲る漁業ではなく、養殖漁業がメインです。カキ、ホタテ、ワカメ、ホヤ、コンブなどを養殖しているのですが、国の手助けやボランティアの方々に養殖いかだの手伝いなどをしていただいたことで、施設も6~7割くらいは復活しています。
ただ、養殖は時間がかかるんですね。例えば、カキを育てて出荷をするまで3年かかります。そういったところで苦労されていますが、これは必ず復活すると思いますし、漁業は経済の底上げをしてくれる重要な産業だと思っているので、我々としてもこれからも応援していかないといけないと思います。
――復興庁ができたからといって便利になったことは何もないというお話がありましたが、そもそも復興庁は縦割り行政の弊害をなくすために設置されたわけです。なぜそうなってしまったのか、今後どうすればいいのかをうかがわせてください。
戸羽 そもそもの問題は、復興庁は位置付けとすれば、ほかの省庁より一段上にいるというところから始まっているんですね。内閣府と復興庁は首相の下で、そのほかの省庁が復興庁の下に入るという話から始まっていたので、私たちは復興庁がある程度強い権限を持っていて、例えば財政的な問題であれば、財務省に対して強いことが言えるといった仮定を持っていました。
平野達男さんが(初代)復興大臣をされて、岩手県選出の方なので私も親しくさせていただいていますが、残念ながら復興庁のスタンスが“私たちを説得しに来る復興庁”だったわけです。私たちは“被災地と同じ立場に立って、ほかの省庁とケンカをするくらいの復興庁”であってほしかったのですが、現実には「いやあ、戸羽くん、無理言うなよ。あきらめてくれよ」と説得に来るような復興庁だったのです。「これはもう話にならない」と思っていました。今回、根本復興大臣ともお話ししましたが、安倍政権では復興庁の権限を強くするということなので、非常に期待しています。
ただ、この1年10カ月の間、自民党の幹部が少なくとも陸前高田市に誰も入っていないんです。小泉さんや小野寺さん、髭の隊長の佐藤正久さんなどは入っていますが、石原伸晃前自民党幹事長のような3役(幹事長、総務会長、政調会長)が入っていないんです。ですから私は、現場を知らないで、そういうことを言っても違うだろうと思います。そういう意味では、しっかりと今から現場を見ていただき、あるいは民主党政権時代のいろんな課題を点検していただいて、もう1回復興庁が新たなスタートを切っていただければ私たちとしては大変ありがたいと思っています。
――被災地の自治体が集まって、組織として声をあげて政府に届けることは考えていますか。
戸羽 一つ前提として、津波被災地はそれぞれ状況が違いますし、課題もそれぞれ異なっています。被災地全体を見ると、福島県はみなさんご存じの通り、津波の被害も受けていますが、合わせて原子力発電所の問題も抱えているので、また別の問題になってしまっていると思っています。
岩手県の中では被災した12の自治体が期成同盟会を作って、国に対して要望を出しています。ただ、現実問題としては私たちのようにたくさんの人が亡くなって、街全体が消えてしまった被災地もあれば、県北の洋野町のように漁業施設が被害を受けただけの被災地もあるので、当然、温度差があります。グループで陳情を要望すればいいものについてはしていますが、やはり結局はそれぞれ努力していかなければ国に声は届かないと私は思います。
――陸前高田市がバリアフリーの町を目指すのはとても良いことだと思うのですが、それを実現するためにどのような障害がありますか。
戸羽 例えば岩手県だと県立病院があるのですが、県立病院はそれぞれの機能を持っています。そういったところで私が「こういう街を将来目指しています」と県の医療局にお話ししていますが、残念ながら医療局はその話に乗ってきません。
例えば、陸前高田市は岩手県の中では温暖で、海があって、山があって、川があって、非常に環境が良いところだと私は思っているので、「病院のリハビリテーションなどの機能を持たせてもらいたいんです。福祉とリハビリといろんなことが混ざった時に私が目指す町になるんです」という話をしても、なかなか県は乗ってきてくれません。
私は根気強く交渉していますし、国に対しても我々のビジョンに対して国の支援が必要なんですと言っていますが、残念ながら県も国も戦略性を持っていないんですね。復興を成し遂げるに当たっては当然、その先にプラスアルファがないと意味がないと私は申し上げているのですが、どうも彼らは物理的に元に戻せばいいという考え方を持っていると思いますので、そこをどうやって埋めていくか、認識の違いを埋めていくかだと思います。
私は「復興を早くしっかりとやることで、日本がもう一度見直されるチャンスじゃないですか」とずっと政府に対しても言ってきました。例えば、「10年かかるだろう」「陸前高田なんてもう復興できないんじゃないか」と思っている国の方々もいると思います。でも、これを5~6年でやった時、「やっぱり日本人ってすごいよね」「日本の技術はすごいね」となれば、今、日本は大変厳しい状況にあって、韓国や中国などに追い付かれたり、追い越されたりされている状況の中、私はこの復興を逆手に取るという言葉は変ですが、日本がもう一回世界のみなさんに認めていただくための一つの手段にしていただきたいと思います。
私たちの街作りにも国や県も協力していただいて、「あれだけボロボロになった陸前高田がこんな町に復活しましたよ」「こんな素敵な街になりましたよ」とできるよう、一緒に歩調を合わせていただけるよう努力していきたいと思います。

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